コロナ禍で生活スタイルが変わったこともあり、郊外への引っ越しや新居の購入を検討している人が増えています。戸建てにするか、マンションにするか、新築か、中古か。いくつかある選択肢のなかで比較的安上がりに済むのが中古物件を購入してリフォームすることです。ここでは参考として、実際に中古の戸建てを買ってリフォームしてみた個人事業主(フリーランス)である筆者の体験をご紹介します。
新居購入 はじまりは夫婦喧嘩
それは新型コロナウイルスがじわじわと日本に迫りつつあった2020年2月のある日の午後のことでした。場所は横浜市内某所。すぐ横は自然の山林をそのままにした公園という静かな住宅地に、夫婦の言い争う声が響きました。
「だから、買わなくていいって言っているわけじゃないんだ。時期尚早なんじゃないかって言っているんだよ。あせるなって」
「そんなこと言っていたら、いつまでたっても買えないじゃない。そのうち歳とりすぎて住宅ローン組めなくなるよ」
「そのローンだよ。前にも言ったことあるよね。フリーランスがローンを組むのは難しいんだよ」
自分はフリーランスだからローンを組むのはハードルが高い。そう言っているのは夫である筆者です。
「あなたが無理なら私の名義で組む。試しに聞いてみるだけならいいじゃない」
お前みたいな甲斐性なしに用はない。自分が買うからつべこべ言うな。そうは言っていないけれど、そう言っているも同然なのは妻です。
会話から、夫婦が何のことで揉めているかは簡単に察することができるはずです。
そう。家を買うか、買わないかです。
寄り切って妻の勝ち 内見決定
このとき、夫婦は2歳の娘と3人で木造3LDK戸建ての賃貸物件に住んでいました。家賃は月8万9000円。子供が生まれたことを契機に、それまで住んでいた東京都世田谷区から引っ越して2年。ちょうど契約の更新を済ませたばかりのときでした。
「私の名義で組むっていうけど、いまの職場、まだ入って3ヶ月しか経っていないじゃないか。さすがに審査通らないんじゃないか」
夫婦は共稼ぎです。夫が言うように、医療従事者である妻はつい最近、転職したばかりでした。
「そんなの、やってみなければわからないじゃない」
「確かに医療従事者はローンが通りやすいよ。前に来た不動産屋のお兄さんも言っていた。医療従事者の場合、1年勤務していたら組めることが多いって」
物件購入に関心のある妻は、以前にもネットに出ていた売りマンションに「問い合わせ」をしたことがありました。その日のうちに訪ねてきた販売業者に応対したのは夫でした。
「でも、今回はまだ1年も経っていないんだよ。さすがに無理だろう」
「あたってくだけろだよ」
思い込んだら一途、猪突猛進型の妻は「これ見て」とスマホをかざしてみせました。
「よく読んでこのサイト。住宅ローンが通る裏技。書いてあるでしょう。自営業者でもローンは組めるって」
「パチプロでも審査通った? またへんなサイト見て……それにここにある自営業者って商売が順調で安定した所得のある人のことだろう」
「情報収集しているだけだからいいでしょ! あなたが無理なら私が組む。それでいいよね」
猪と化した妻をとめるのは不可能。このあと、しばしお互いに禁句ワードを連発して罵倒しあった末にそう悟った夫は「わかった」と頷きました。
「たださあ、ローンの話はまだ早くないかな。とりあえず物件見てからじゃないの?」
夫の一言に、妻は「それもそうだね」と態度を軟化させました。
「じゃあ、内見の申し込みしていい?」
「内見だけならいいんじゃない。でも、きっとそれだけで終わらなくて、この物件以外にもいろいろ紹介されるよ」
「この物件だからいいの。この物件一択ってことで内見しようよ」
「ほしくなって、でもローンが組めなかったら落ち込むことになるぞ」
「そんときはそんときじゃない」
「……わかりました」
筆者がそう頷いたときには、妻はすでにスマホの画面をポチしていました。
妻が「一択」という物件とは、どんな物件なのでしょう。時間を少しだけ遡って説明します。
我が家にぴったりの物件を見つけた
夫婦が犬も食わない見苦しい言い争いに突入する十数分前。そのとき筆者は自宅の二階にある仕事部屋の机で夏に刊行予定の小説の原稿を書いていました。すると、仕事が休みで家にいた妻が仕事部屋に来て、「ねえ、これどう思う?」とスマホを差し出したのです。
スマホの画面にあったのは、売り物件の情報でした。
「中古一戸建て 横浜市〇〇区 ○○○丁目 3LDK」と書かれたその下には「価格1,980万円」とあります。
「安いね」と言うと、「でしょ!」と妻。
「ちょっと見せて」とスマホを受け取ってみました。
画面には、間取り図の上に販売業者の担当者の写真があって、“おすすめコメンント”なる吹き出しのなかにいくつかのセールスポイントが列記されていました。
- 平成13年12月築
- 2階建て・3LDKのお住まいです♪
- カースペース有り!
- 室内収納スペース豊富♪
コメントの下には間取り図と物件の外観写真がありました。
1階は11帖のLDにキッチン、トイレに洗面所に浴室、ホールと玄関、それに2ヶ所の物入れ。玄関横の敷地北東側に普通乗用車1台分のカースペース。南側には庭があります。
2階はウォークインクロゼットがついた7.5帖の洋室と、5帖の洋室、6帖の和室、それにトイレという構造。トイレがひとつ多いことを除けば、間取り自体はいま住んでいる賃貸物件の戸建てと同じ。自分と妻、2歳の娘の3人家族である我が家にはぴったりと言っていい間取りです。
実際の広さはというと、建物面積が93.57㎡、土地面積は100.05㎡。いま借りている家は建物面積が100㎡あるので、少し狭いくらいです。
交通は徒歩3分以内の場所にバス停があって、JRの駅3つ、それに横浜市営地下鉄の駅などに行くことができます。
売り物件の場所は保育園の目の前
写真を見ると、築20年近い物件だけあってぴかぴかというわけではないけれど、といってボロボロでもありません。ごく普通の木造住宅といった感じです。外壁はレンガを模したブロック状で、色はワインレッドを薄くしたような、ちょっとくすんだ色をしています。
目の前はクルマ2台がすれ違うことができるくらいの道路で、両隣には住宅が建っています。雰囲気としては閑静な住宅街といった感じです。
気になったのは、道路の向かい側に建物がなく、フェンス越しに緑地となっていることでした。「あれ、これ、もしかして」と口にすると、妻が「地図見てみなよ」と言いました。
「地図」の2文字をタップした筆者は「おっ!」と声をあげました。
「……場所は最高だね」
呟く筆者に妻は「でしょ!」と合いの手を入れてきました。
売り物件の場所は、娘が通っている保育園の目の前だったのです。
「確かに、こんな物件はそうやすやす出ないよなあ」
しげしげと地図を見ながら、正直に明かすと筆者はこのとき運命的なものを少しだけど感じていました。家と人というのは、赤い糸じゃないけれどどこか運命的なご縁でつながっている。うまくは言えませんが、筆者にはこれまでの経験からそんな思いがちょっとあるのです。
いま住んでいる家から保育園との間はクルマで往復しています。直線距離にすると1キロメートル離れているかいないかですが、間に大通りを挟んでいるため、朝夕はけっこう渋滞して送り迎えにはそれなりの時間を要します。
送り迎えを担当している自分としては、送迎時間が短縮できるのはおおいに歓迎です。
「うちにとっては最高の物件じゃない?」得意顔で言う妻に、筆者も「そうだね」と相槌を打ちました。
家を購入しなければいけない理由
夫の賛意が得られたという手応えを感じた妻はたたみかけるように「家を買った方がいい」理由を並べ立てました。
「簡易シミュレーターやってみたら、毎月のローンが7万円以下なんだよ。いまよりだいぶ安くなるよ。それも家賃じゃなくて持ち家のローンだよ」
我が家は家賃、光熱費、食費等の生活費はおもに夫である筆者が担当しています。正直な話、子供が生まれて以来、家事や育児に時間がとられて仕事に費やす時間が減り、それとともに収入も減っていた筆者としては毎月の家賃(住宅ローン)が下がるのは大助かりです。
「この家は広くて眺めがいいけど、すごく寒いじゃない。わたし、血圧があがりっぱなしだよ」
これも事実です。住人が「◯◯山」と呼ぶ高台のてっぺんにある我が家は眺望の良さがウリで、窓からは数キロ先の丘陵まで見渡すことができます。もちろん、富士山もランドマークタワーも見えます。ただ、妻の言うように寒いのも事実。これは主観ではなく、賃貸契約のときに大家さんも口にしていたことなので本当です。
「それにポン子(仮名)が小学校にあがってからのことを考えると、ここよりも絶対にこの家の方がいいよ。このへん、夜とか暗いじゃない。痴漢に注意とか看板も出ているし」
確かに、売りに出ている物件は、保育園だけでなく小学校や中学校にも近く、しかもその間に人通りが絶えて暗くなるような場所はほとんどありません。学生時代、人通りのない場所で痴漢に遭った経験のある妻はこうしたことには敏感です。
その他この他、妻は家を買った方がいい理由をいくつも挙げました。
無計画だった2人 住宅購入予算がない
妻の言うことはわかる。けれど、いきなりそんなことを言われたこちらとしては「もう引っ越しか」という思いがありました。
なにしろ東京から横浜に引っ越してまだ2年なのです。
なぜ自分たちが引っ越したのか。
理由は、もちろん「子育てのため」です。
それまで住んでいた世田谷の家は45㎡の集合住宅で子育てをするには手狭だったし、産後、体の調子の悪い妻を見ていると気兼ねなく助けてもらえる人が夫以外にも必要だと感じ、横浜市内にある妻の実家近くに引っ越すこととしたのです。
そうしたところ、どういう偶然か、妻の実家の隣の家が貸家となっているのを見つけ、一も二もなく借りることにしたのでした。これも一種の「ご縁」だったのでしょう。おかげで娘が保育園に入るまでの間は、義母がずいぶんと面倒を見てくれ、夫婦はとても助かっていました。
それなのに、もう引っ越しです。
いつまでもはここにいるつもりはない。そのうちまた東京に戻ろうとは言い合ってはいたものの、まさか2年で引っ越す。それも家を買うとなると方針の大転換です。東京に戻るどころか、この地に骨を埋めることになるかもしれません。
先の話はともかく、問題は先立つもの=お金です。
まったく自慢になりませんが、自分と妻のこれまでの人生は無計画なものでした。この時点で夫婦合わせての貯金は400万円強。他に娘名義の貯金が100万円ほどありましたが、これは神聖不可分にして絶対手をつけてはいけない教育資金です。1980万円の中古物件を購入するにはローンを組むほか術はありません。
「でも、かりに買うとしても無理じゃないか。ポン子が生まれてから収入下がっているし、ローンが組めないよ」
思わず本音がもれた夫に、妻は「そんなの、わかんないじゃん」と返してきました。
「いやいや、そもそも家を買うかどうかなんて、本気で話しあってこなかったじゃないか」
住宅購入は、人生に一度あるかないかの大きな買物です。本当なら夫婦でよく話し合って、いつ頃家を買うか計画を立てるべきです。それをAmazonや楽天で買物をするように、たまたま欲しいものを見つけたからといってポンと衝動買いするわけにはいきません。
しかし、そう考えているのは夫だけでした。
「だったら、いま話せばいいじゃない」
「うん。だから話しているんだよ。難しいんじゃないかって」
「そんなこと言って、買いたくないだけじゃないの!」
というわけで、冒頭の諍いとなったわけです。
物件情報の「お問い合わせ」をタップした妻。
ほどなくして、販売会社の担当者から連絡がきたのでした。
文・中野渡淳一
文筆業者。著書に『怪しいガイドブック~トラベルライター世界あちこち沈没記』『漫画家誕生 169人の漫画道』。この他「仲野ワタリ」名義で『海の上の美容室』「猫の神さま」シリーズ等小説作品多数。『moneyscience』では生活者目線及び最新トレンドの記事を中心に執筆。