お肌のケアを怠ってはいけない夏。みなさんが愛用している化粧品はどのメーカーのものでしょう。今回は日本を代表する化粧品メーカーである資生堂について、ざっくり説明いたします。
創業は明治5年の老舗化粧品メーカー
資生堂の歴史は古く1872年(明治5年)に創業者の福原有信が東京の銀座に我が国初の民間洋風調剤薬局を開いたことから始まります。当時は薬といえば漢方薬が主流。資生堂はそこに日本にはまだなかった調剤薬局をつくり、現在の医薬分業のシステムの基礎を築いたのでした。このとき福原氏はまだ24歳。文明開化の時代にふさわしい、意欲に満ちた若い経営者であったことが想像できます。
1902年(明治35年)には薬局内にソーダファウンテンを設置して、ソーダ水やアイスクリームの製造販売を開始。これは当時の日本ではたいへん珍しいもので、世間に「ハイカラな資生堂」というイメージを印象づけることになりました。現在の資生堂パーラーは、このソーダ水とアイスクリームの製造販売に端を発して発展したものです。
化粧品事業を本格的にスタートさせたのは大正期になってから。1916年(大正5年)に新たに銀座に化粧品部を開店させ、化粧品の製造・販売に乗り出しました。
特筆すべきは、このとき店内に意匠部(パッケージのデザインや店舗設計、新聞・雑誌などの広告制作を担当する部署)を設置したこと。資生堂の製品や広告といえば、モダンで洗練されたデザインが特徴。その伝統はこの頃から培われていたようです。
翌1917年(大正6年)には日本人により制作された最初の本格的香水である「花椿」を発売。さらに次の年には「資生堂コールドクリーム」を発売と、以後、同社は日本を代表する化粧品メーカーへと成長していきます。
現在は、化粧品事業の他にレストラン事業やフーズ事業、美容室事業、教育事業、保育事業など、「美」を軸にさまざまな事業を展開しています。
資生堂の社員の給料はどのくらい?
資生堂グループの関係会社は87社、連結の売上高は1兆352億円、従業員数(就業人員数)は連結で3万4,318人となっています(いずれも2024年12月31日現在)。
ここではグループの中心にある株式会社資生堂について見てみます。
有価証券報告書によると、2024年12月31日現在の従業員数は4,260人で、平均年齢は38.9歳、平均勤続年数は11.2年、平均年間給与は705万8,131円となっています。競合他社の中には平均年収が100万円程度高い企業もありますが、化粧品メーカー全般の平均給与と比較すると200~300万円は高いようです。
社内の職種では、企画部門や管理部門、商品の研究開発にあたる専門職などは年収が高く、営業、販売、サービス部門はそれに準じるといわれています。
年代別に見ると、20代では約400万円、30代で500~600万円、40代で600~700万円、50代で800万以上。もちろん、管理職になればそれに応じて年収は上がります。ただし、実力主義を評価の中心に据える企業などに比べるとドラスティックな変化は少なく、ポジションに応じて100万円、200万円といった単位で増えていくといった印象です。
資生堂のボーナスはいくら?
資生堂ではボーナスは、6月、12月、3月の年に3回支給されます(3月は業績次第では出ない可能性もある)。
基本的な支給額は月給の2ヶ月半分。20代の若手社員なら平均値は70~80万円、30代は85~105万円、40代は85~120万円、50代は140万円程度と思っておけば良さそうです。
ボーナスについては会社の業績だけでなく個人の評価がかなり勘案されるので、社員同士で年収に差があるとしたら、それはほぼボーナスの支給額の差であると考えていいでしょう。このため、評価の高い人は2.5ヶ月分の支給額にプラスして相当な金額のボーナスをもらっているであろうことが推測されます。
この他、女性に優しい企業のイメージがある資生堂は、やはりというか、福利厚生がかなり充実しています。
完全週休2日制で年間休日は127日、産休や育休、介護休暇などの休暇制度も大手企業の平均かそれ以上の充実ぶりで用意されています。社員の人たちからは社宅や住宅補助の手厚さが高く評価されています。なかには補助されている家賃分を足すと実質の年収はプラス100万円以上となる人もいるようです。
文・中野渡淳一
文筆業者。著書に『怪しいガイドブック~トラベルライター世界あちこち沈没記』『漫画家誕生 169人の漫画道』。この他「仲野ワタリ」名義で『海の上の美容室』「猫の神さま」シリーズ等小説作品多数。『moneyscience』では生活者目線で最新トレンドの記事を中心に執筆。