リフォーム必須の中古物件の購入。問い合わせから内見へと、流れに身をまかせるように契約へと動き出したはいいものの、ローンの審査は通るのか、支払いはいつから始まるのか、家の受け渡しはいつになるのか、そしてリフォームにはいくらかかるのか、気になることがいっぱいです。はじめての住宅購入、「契約編」のスタートです。
親子3人で住宅ローンの仮審査へ
衝撃の内見から4日後、まだ販売会社への正式な回答はしていませんでしたが、ローンの仮審査のために最寄駅の駅ビルの中にあるローン会社の支店を親子三人で訪ねてみました。
迎えてくれたのは、ソフトな印象の男性担当者Sさん。販売会社からはすでにこういう客が来ると連絡が入っていたようで「お待ちしておりました」と商談用のテーブルに案内してくれました。
Sさんは、若干緊張気味の妻に開口一番、「医療従事者の方は割とローンが通りやすいんです」と笑顔を向けてくれました。
「でも、いまの職場、勤めてまだ一年も経っていないんですけど」
「そういうお客様もときどきいらっしゃいます。みなさん、けっこう転職されるみたいですね。まあ、医療従事者の方は引く手数多というか、すぐに仕事が見つかりますから」
ニコニコしているSさんの顔には「なんにも心配要りませんよ」と書いてあります。
今回、もし購入するとしたら利用するのは固定金利の「フラット35」です。住宅ローンを組むときに、まず迷うのが固定金利にすべきか変動金利にすべきか。筆者と妻はこれについてはあまり議論せずに販売会社がシミュレーションしてくれた固定金利を選択しました。理由は「すべて変動金利だと金利が上がったとき怖い」からです。
一般的によく言われているように、変動金利は金利が低いのが魅力です。しかし、なにぶん「変動」ゆえにいつそれが上がるかわかりません。もし長期のローンを組んで金利が上がってしまったらたまったものではありません。筆者と妻が家を買う理由のひとつは「毎月の固定費(家賃)を下げること」です。よって長期ローンは確実。35年かそれに近いローンを組むつもりだったので、どちらにするかで迷うことはありませんでした。
あっという間に仮審査クリア
Sさんの説明を聞きながら、妻が仮審査用の申込書などに必要事項を記入していきます。記入するのは自宅や勤め先の住所、年収など、基本的な情報ばかりなのでそう難しいことはありません。
Sさんはローンの繰上げ返済の方法や団信についてなどを細かに説明してくれています。本当は筆者も耳を傾けたいところなのですが、せわしなく動きまわる2歳の娘の相手をしながらなので全部を聞くことはできません。
理解できたのは、「ローンの繰上げ返済はネットでやれば便利で安上がり」「団信はやっぱりお得」ということくらいでした。あとは妻が聞いているし、これだけわかれば十分といった感じです。詳しく聞きたければ、本審査のときにあらためて聞けばいいのです。
申し込みは1時間弱で終了。そのあとは駅近くの中華料理店で昼食にし、さて帰ろうかとクルマのアクセルを踏んだときでした。妻の携帯が鳴りました。
「仮審査、通ったって!」
「はやっ!」
ローン会社をあとにして、まだ1時間経ったか経たないか。なかなかの仕事のはやさです。
ここは手を叩いて喜ぶべき場面です。が、なぜか妻の顔は焦っています。
「どうしよう。区役所に住民票とか戸籍謄本とか取りに行かなきゃならないみたい」
本審査を通すのにそれらの書類が必要なようです。
「じゃあ区役所に行こう」
帰宅は中止し、Uターンして、やはり駅の近くにある区役所へと行きました。妻は書類の交付へ。筆者は娘が寝てしまったのでクルマでお留守番です。
帰って来た妻は、今度はこう言いました。
「昨年度分かな。なんか課税証明書が必要なんだって」
「うん。で?」
「そっちは横浜市にはないから、世田谷区役所で発行してもらってくれって」
「あ、そうなんだ」
筆者たちは2年前までは東京の世田谷区にいました。前年度の課税証明書はそちらで取ってほしいと窓口の人に言われたというのです。
「なら、世田谷区役所に行こう!」
そう答えたときには、筆者はハンドルを東京方向へと切っていました。
不動産のプロに間取り図を見せる
1時間後には、妻は世田谷区役所で課税証明書をゲットしていました。「いつか戻ろう」と言い合っていた世田谷区の区役所に他県で家を購入するための書類を取りに来ることになろうとは。若干、微妙な気分ではありますが、それよりも仮審査に通ったことで2人とも興奮していました。「動き出してしまったな」というのが実感です。
区役所の帰り、区内にある筆者の実家に寄りました。賃貸の公営住宅には、父が1人で暮らしています。息子一家の不意の到来に、昼寝からのっそり出て来た父に向かって、筆者は持って来た家の物件情報のチラシをひらひらさせました
「この家、買うかも」
息子の一言に父はチラシを受け取ると、寝ぼけ顔から一転して鋭い眼光で目を走らせました。
「ローンはトン子(妻:仮名)名義で組むんだけどね」
「うん」
頷きながら、父はいつになく真面目な顔で間取り図を見ています。普段は親父ギャグのダジャレしか口にしない父のこんなに真剣な顔を見るのはひさしぶりです。実は父は現役時代は不動産業者だったのです。バブル後の不況で自分自身はたいした資産を残すことができませんでしたが、物件の良し悪しを見る目は確かです。
「3LDKか」
「うちの家族構成だとこれがちょうどいいんだよ」
「前は4m道路か」
「そうだよ。写真見る?」
スマホで物件の外観を見せました。ついでに「ポン子(娘:仮名)の保育園が目の前なんだよ」と付け足しました。
「平地か?」
どれも短い質問だけど、不動産業者にとっては勘所なのでしょう。父はいくつか質問を重ねたあと、もう一度間取り図と売値を交互に見ました。
「安いでしょう。そのかわりリフォームが必要だけどね」
「中、見たのか」
「見たよ。外見よりも中の方がボロボロだった。売値にプラス300万ってとこだね」
父は黙って頷きました。とくに「いい物件」とは言わず、といって「悪い物件」とも言わず。しかし、その顔を見ていると異論はなさそうでした。
「本当はこっちに戻って来たいって言っていたんですけどね……」
別室で、前の年に亡くなった母の仏壇に手を合わせていた妻と娘がやって来ました。
健康に不安のあった母は、筆者が横浜市へと引っ越してわずか1年で世を去っていました。自分が引っ越し以前のようにすぐそばにいればもう少し何かできたであろうに。息子としては内心忸怩たる思いですが、いまさら悔やんでも詮無いことです。
他県に家を購入するということは、母を亡くしてひとり残った父親に「ずっと1人でいろ」と言っているようなものです。高齢の親を持つ身として葛藤がないわけではありません。
父は妻に「家を買うのはいいことだよ」と笑顔を向けると、「東京のじーじ」にまだあまり慣れていない娘に「またね」と手を振りました。男の人が苦手な娘はか細い声で「バイバイ」と返しました。
コロナ禍での中古物件購入は無謀か やっぱり買わない?
夜になって、興奮気味だった頭もやや落ち着いたところで妻と話しました。
「なんかトントン拍子で進んでいるね。ちょっとこわいかも」と妻。
「正直、気持ちがついていけていない部分もあるよ」と筆者。
「世の中、コロナで大騒ぎなのに家なんか買っていいのかな」
「というか、まだ母親の一周忌も終わっていないんですけど……」
本来なら仮審査が通ったことで一気にGO!といきたいところ。けれど、妻と自分には立ち止まって考える時間も必要でした。そして、いまががそのときでした。
「仕事の調子どうなの? ローン組んで払える?」
妻が尋ねてくるので「いまだって家賃払っているけど、不安といえば不安だよ」と素直に答えました。
フリーランス(個人事業主)の筆者は、本名もしくは無署名でウェブメディアや雑誌の記事を書いています。また別名義(ペンネーム)で小説を書いています。そのときどきによりますが、1年を通してみると仕事の割合は前者と後者で7:3といったところです。普段の生活費や家賃などは前者の稼ぎでまかなっています。
ところが、このときは新型コロナウイルスの影響で仕事が減っていました。とくに著しく減少していたのが「取材(インタビュー)記事」でした。それまで月に何本かあった対面でのインタビュー取材が「三密」を避けるためにほとんどなくなっていたのです(その後、Zoom取材などへと転換して復調したのですが、このときはコロナ禍が始まったばかりでまだリモートでの取材や会議が広くは普及していませんでした)。
「ライターも大変なんだね。小説はどうなっているの?」
「いま書いているところ。夏には出るから急がなくちゃ。でも印税が入るのはそのあとだからね」
答えながら、筆者の頭にちらついていたのは、家の購入時期でした。収入が激減しそうな気配が漂っているなかで35年も返済しなければならない大借金を抱えていいものかどうか。抱えるにしても、もう少し経済的な見通しがついてからの方がいいのではないか。前々から熾火のように燻っていた不安がふたたび頭をもたげてきていたのです。
「ローンが始まるのが夏過ぎならどうにか乗り切れると思うんだけど、4月や5月から始まったらきついな。引っ越し費用やリフォーム代も同時にかかるわけだし」
呟くように話していると、妻が「やめようか」と言いました。
「わたしも少し冷静になるよ。考えてみればコロナがどうなるかわからないのに家を買うなんてどうかしているよね」
「どうするんだ。Iさん(販売会社の担当者)にはなんて言うの?」
「少し落ち着くまで様子を見たいって言えば、わかってくれるんじゃないかな」
「うん。様子見て、買えそうだったら買えばいいんだしな」
「そうそう。もし先に売れちゃったら売れちゃっただよ」
Iさんには申し訳ない。でも、ここはいったん白紙に戻そう。そう決めてこの夜は話を終えたのでした。
文・中野渡淳一
文筆業者。著書に『怪しいガイドブック~トラベルライター世界あちこち沈没記』『漫画家誕生 169人の漫画道』。この他「仲野ワタリ」名義で『海の上の美容室』「猫の神さま」シリーズ等小説作品多数。『moneyscience』では生活者目線及び最新トレンドの記事を中心に執筆。